本日は、いよいよ7月18日(金)に地上波初のテレビ放送が決定した、私にとって特別な作品『侍タイムスリッパー』について、その出会いから撮影秘話まで、熱い想いを皆様にお伝えしたいと思います。今回は、その第2回目
「侍タイムスリッパー」撮影現場でのエピソード
自主映画としては異例の制作環境と、安田監督への計り知れないプレッシャー
大手映画会社である東映スタジオの協力、そして日本の伝統ある剣劇界の俳優の皆様の全面的なご協力という、自主映画としては異例とも言える環境下での制作は、安田監督にとって並々ならぬプレッシャーだったと思います。
スタジオの職人さん方からの期待とプレッシャー、俳優陣からのプレッシャー、限られたスタジオレンタル時間と費用、そして全体的な予算不足といった、想像を絶するほどの重圧があったはずです。
自主映画がメジャースタジオで制作されるということ自体が、まさに「あり得ない制作待遇」であり、その分、計り知れないプレッシャーが監督にのしかかっていたことでしょう。
あの名匠を彷彿とさせる安田監督の情熱と勝利
しかし、安田監督が本当に素晴らしいのは、その凄まじいプレッシャーの中で、常に腰を低く、頭を下げながらも、ご自身の頭の中に描く映像を、忍耐強く、可能な限り具現化しようとされたことです。あたかも初期のリドリー・スコット監督のように!
何度も追加撮影を行い、予算が少ない中、俳優陣も演技でカバーしようと全力を尽くしました。
監督の「自分の納得のいく映像を見せたい」という強い想いが、私たち俳優からの信頼をも勝ち得る勝負だったのだと思います。
そして監督がその勝負に勝利した証が、ラストの決闘シーンの圧倒的な迫力に凝縮されています。
殺陣師である清家さんの多大な貢献も、このシーンを語る上で欠かせません。
命懸けの熱量と逆境を跳ね返す力強さ
映画全体が、「お前ら、見とけよ!」と語りかけてくるかのような、熱量に満ちた作品だと感じます。
単館上映から全国へと展開し、数々の映画賞受賞を呼び込んだのは、まさに安田監督の情熱と粘り強さの賜物でしょう。
農家のDNAが、まるで百姓一揆を起こした民のように、武士どもを鍬で打ち倒すかのような、逆境を跳ね返す力強さを監督から感じました。
舞台挨拶での劇場でのエピソードやファンの人たちから感じたこと
奇跡のムーブメントを巻き起こした宣伝戦略と関係者の尽力
「侍タイムスリッパー」が何らかの映画賞を受賞することは、制作当初からその予感がありました。
しかし、それは安田監督と、本作に多大な投資をされた女優の沙倉ゆうのさんの勝利でもあります。
映画の宣伝は、まるで政治家の選挙活動のように、地道な努力の積み重ねが不可欠です。
インディーズ映画の聖地とも称される池袋シネマ・ロサさんの強力なプッシュに、川崎チネチッタさんの手厚いバックアップ、そして波に乗って貢献してくださったGAGAさんの存在も非常に大きかったと思います。
まるで人気の大衆演劇がとんでもない広がりを見せるかのように!
あの熱狂的なムーブメントが生まれたのです。
熱演と奇跡の受賞、そして日本映画史に刻まれた伝説
そして、俳優として全力を尽くし、この映画に魂を込めた冨家規政さん、山口馬木也さんの熱演もまた、この成功に欠かせない要素でした。
数々の映画賞受賞、そして100回を超える鑑賞を重ねてくださった熱心なファンの方々を熱くさせたのは、間違いなく、こうした多くの方々の情熱と貢献のおかげです。
自主映画で日本アカデミー賞を受賞するということは、まさに奇跡と呼ぶにふさわしい出来事です。
この奇跡は、時代劇をこよなく愛する方々、そして「斬られ役」の伝説である俳優・福本清三さんの存在、さらには目に見えない大きな力が作用したことも、大成功の要因であると私は確信しています。
「侍タイムスリッパー」は、間違いなく日本映画史に偉大な伝説を刻んだ作品です。
私もこの作品に携われたことを俳優として、京都に縁のある者として、心から誇りに思っております。