この度、僕が長年の縁を持つルーク・スパーク監督の映画『プリミティヴウォー 恐竜戦争(Primitive War)』の日本配給に関わることになったその経緯をお伝えしたいと思います。
今回は、この映画との出会い、ルーク監督との長い関係、そして「これは何としても日本の映画館で観てもらいたい!」と思った理由を、2回に分けてお話ししたいと思います。
前編では、ルーク監督との出会い、そして僕が『プリミティヴウォー 恐竜戦争』に度肝を抜かれた理由について。
今回は、その第一回目
ルーク・スパーク監督との出会いは、戦場だった
ルークとの出会いは、もう数十年前になります。
2002年に製作された『グレートレイド 史上最大の作戦』の現場でした。
ルークの父、イアン・スパークさんは、オーストラリアでは有名な衣裳部の責任者。
特に戦争映画の現場で長く活躍されてきた、本当に素晴らしいプロフェッショナルです。
当時の現場には、日本軍に関する専門資料もかなり揃っていました。
戦争を経験していない僕らは、ゲートルの巻き方から軍帽の被り方まで、細かく指導を受けるわけです。
銃も、世界中から集めた本物を渡されて訓練する。
「映画だから、それらしく見せればいい」という世界ではありませんでした。

撮影前には、12日間のブートキャンプという軍事訓練も受けました。
監修したデイル・ダイ大尉は、『プラトーン』『プライベート・ライアン』にも関わった方です。
『バンド・オブ・ブラザース』の第一話で、米兵たちが軍事訓練を受けますが、あれのダイジェスト版のようなものです。
いや、ダイジェスト版とは言っても、こちらにとっては十分すぎるほど強烈な体験でした。
映画の撮影よりも、この訓練のほうが強烈な記憶として残っているくらいです。(笑)
「ああ、アメリカ映画は違うな」と、その時に感じました。
あの作品には、今ではスター級になった俳優がたくさん出演していました。
『アバター』で知られるサム・ワーシントンも、当時はまだ新人でした。
ルークは、そんなハリウッド第一線の製作システム、俳優やスタッフに、子どもの頃から触れ親しみ、そして学んできた人間なのです。
現場がつないだ、長い信頼関係
スパーク家とは、その後もいくつもの撮影現場で仕事をしてきました。
スティーヴン・スピルバーグ、トム・ハンクス製作の『ザ・パシフィック』。
そして、ルークが監督としてスタートした第一作『BILLABONG/ビラボン』にも出演しました。

映画の世界は、人の縁が本当に大切です。
俳優もスタッフも、もちろん才能や技術は必要です。
でも最後は、「この人とまた仕事をしたい」と思えるかどうか。
その積み重ねが次の現場を生み出していく。
ルークとは、まさにそんな関係を築けたことに感謝します。
オーストラリア・プレミアで度肝を抜かれた
『プリミティヴウォー 恐竜戦争』を初めて観たのは、2025年夏のオーストラリア・プレミアでした。
度肝を抜かれました。
日本で『国宝』を観た直後だったのですが、その印象が吹き飛ぶような怪作でした。
僕ら昭和の映画人は、マーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラ、スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカスの映画で育ってきました。
この映画には、そんな時代の映画の匂いがプンプンするんです。
前半は、ベトナム戦争を題材にした『プラトーン』『地獄の黙示録』『ディア・ハンター』のような、濃密な戦争映画の世界。ミリタリー好きには、もうたまらないでしょう。

ところが後半になると、恐竜が出てくる!
『ジュラシック』シリーズや『キングコング』、『ゴジラ』を観た時のように、子どもに戻ってワクワクできる、とんでもない恐竜ファンタジーが始まるんです。
戦争映画の魅力と、恐竜映画、ファンタジー、ホラーの面白さを、全部詰め込んでいる。
「これはとんでもない自主映画だ! 日本で配給を探してやろう」
そう決めました。
後編では、映画の配給がどのように決まったのか、そして『プリミティヴウォー』シリーズのこれからについてお話しします。
yutaka